善通寺の歴史・由来
五岳山 善通寺の創建は、『多度郡屏風浦善通寺之記』(江戸時代中期成立)によると、唐より帰朝されたお大師さまが、御父の寄進した四町四方の地に、師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して建立したお寺で、大同2年(807)臘月(陰暦12月)朔日に斧始めを行い、弘仁4年(813)6月15日に落慶し、父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と号したと記されています。
鎌倉時代に佐伯家の邸宅跡に「誕生院」が建立され、江戸時代までは、善通寺と誕生院のそれぞれに住職をおく別々のお寺でしたが、明治時代に至り善通寺として一つのお寺となりました。現在は真言宗善通寺派の総本山であり、また四国八十八ヶ所霊場の75番札所でもあります。
現在の善通寺は「屏風浦五岳山誕生院善通寺」と号し、山号の「五岳山」は、寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に由来し、その山々があたかも屏風のように連なることから、当地はかつて「屏風浦」とも称されました。そして、「誕生院」の院号は、お大師さま御誕生の地であることを示しています。御誕生所である善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ弘法大師三大霊跡のひとつとして、古くから篤い信仰をあつめてまいりました。
総面積約45,000平方メートルに及ぶ広大な境内は、「伽藍」と称される東院、「誕生院」と称される西院の東西二院に分かれています。金堂、五重塔などが建ち並ぶ「伽藍」は、創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする「誕生院」は、お大師さまが御誕生された佐伯家の邸宅跡にあたり、ともに弘法大師御誕生所としての由縁を今に伝えています。
四国お遍路75番札所「善通寺」に来ています。
町の真ん中にあるお寺で、駐車場が広くて200円です。
駐車場の入口に売店があって、みかんやまんじゅうが売られていました。
四国はいたるところで、みかんが売られていますね。
大師まんじゅうというまんじゅうが6個400円で売られていました。
普通のまんじゅうのパッケージに大師と書いてあるだけの何の変哲もないまんじゅうですが、お土産のまんじゅうの一般的な値段よりかなり安いですね。
その隣のよもぎ餅は5個で250円だし、かなり良心的な価格設定の店です。
帰りに大師まんじゅう買って帰りましょうか。
済世橋
この橋は、弘法大師が中国に御修行の砌(みぎ)り洛陽の洛水に架かる天下の名橋、天津橋を渡られました。
その故事により、このところ天津橋を復元し往時を偲ぶものであります。
お遍路さんに話しかけてみましょう。
ツカ「こんにちは何県から来ましたか?」
「和歌山県です。」
ツカ「ありがとうございました。」
なんか急いでそうなのですぐに切り上げました。
お寺の裏から入ってきたので、一度正面に行きましょう。
よく見れば右下に托鉢の人がいます。
ごーん。
屋根には弘法大師の生まれた時から最後までのストーリーが絵に描かれていました。
売店にはうどんスナックというものが売られています。
香川県はうどんが有名なのでスナック菓子もうどんを食べているようですね。
その隣に目に効く飴が売られていました。
謎の飴だなあ。
あれ?本堂かと思ったら大師堂だね、本堂はどこにあるんだろう?とさがしたところ、ありません。
ふうむ?
ほあ、ここってかなり広いんだね。
中には大きな仏像がありました。
なぜかカッパみたいな口をした石像がありました。かわってるなあ。
戻って大師堂でロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
弘法大師様がこの木に登って池に映った自分の顔を見て、自画像を描いたそうですよ。
いまはもう木が倒れてしまっていますが、伝説の木ですね。
以上、75番札所「善通寺」でした。またね!