出釈迦寺の歴史・由来
出釈迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で虚空蔵菩薩像を刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持院」という院号がつきました。ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。
また、弘法大師が身を投じた場所は、ここからさらに100mほど登った場所にあります。下を見れば足のすくむような深い谷底ですが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景が広がります。
四国お遍路73番札所「出釈迦寺」に来ています。
ため池に潜る鵜がいました。四国のため池ってなぜかブラックバスいるよね。たぶんそれ食べてるみたい。
通路の左側にはお大師様の石像があったり、石碑があったりします。
右側にはショップとか宿屋とか民家とかが並んでいますね。
左側に大師堂があります。本堂はもっと奥にあるようですね。
弘法大師空海(幼名真魚)は7歳の時、世を救うという大きな請願をたてました。
そして、讃岐国多度郡(現在の善通寺市)にある五岳(香色山・筆ノ山・我拝師山・仲山・火上山)の中で一番高い我拝師山に登り、三世(前世・現世・来世)の諸仏・十方の菩薩様に念じ
「私は仏法に入って、一切の衆生を済度せんと欲す。私の願いが成就するものならば、お釈迦様よ、姿を現してその証を与え給え。成就せざるものならば一命を捨ててこの身を諸仏に奉げます」
と言って、断崖絶壁の頂より白雲も迷う谷底に身を躍らし飛び降りました。
すると、紫色の雲が湧き起こり、その中に大光明を放って百宝の蓮華に座したお釈迦様が現れ、羽衣を身に纏った天女が降りてきて真魚(弘法大師空海)を抱きとめ
「一生成仏」
とおっしゃいました。弘法大師空海は、この神秘不可思議なる仏陀の霊光に感謝し、霊験を永久に記念し、世の人々に仏縁を結ばしめんが為に捨身ヶ岳に寺を建立し、ご本尊のお釈迦様を安置しました。
その後、この地は捨身誓願の霊場として多くの善男善女の信仰の中心となったそうじゃ。
<出釈迦寺捨身ヶ岳禅定より>
つまり、7歳の弘法大師様が、「俺は救世主だから飛び降りても死なない!死んだら救世主じゃない!そうだろ?アイキャンフライ!」と言って山頂の崖から飛び降りた。
そしたら空に仏様が表れて、天女がキャッチしてくれたよ。HAHAHA!
という伝説。
弘法大師様凄い。半端じゃない。そりゃあ伝説にもなるよね。
ツカ「何県から来ましたか?」
「大阪から自転車で来たよ。写真撮ってもらっていいですか?」
ツカ「自転車たいへんですね。はい撮りますよー。3・2・1・カシャ。」
「ありがとう。」
香川県あたりだと自転車で来れるのかなあ?しまなみ海道とかで橋を自転車で渡るの流行ってるらしいし、それもまた、楽しいかもしれませんね。
求聞持(ぐもんじ)大師様とは、求聞持法(ぐもんじほう)という人を天才にするという秘法を習得して広めた人です。
この石板の前で拝むと、弘法大師様が飛んだ山の山頂に行った事と同じ効果があると言われています。
山の山頂まで1時間かけて登るのも大変なのでここで拝んでおきましょう。
石板には崖から飛び降りる弘法大師様と天空に大きな仏様。そしてキャッチする天女が描かれています。
休憩所があるので休憩していきましょうか。
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巡拝した回数によって使う色が決められています。
・1~4回 白
・5~7回 緑
・8~24回 赤
・25~49回 銀
・50~99回 金
・100回~ 錦
金色と錦色の納札は霊場会本部の許可をもらって買います。
なるほどねえ、100周する人とかもいるのか。半端じゃないな。
たまに赤とか緑が放り込まれているのをみますが、金とか銀とか錦なんて見た事無いな。
バスツアーの仕事の人とかなら100周行けるかもしれませんね。
中に入ると写真がたくさん飾られていました。
などなど額縁に入った写真がたくさん飾られています。
以上、73番札所「出釈迦寺」でした。またね。