甲山寺の歴史・由来
甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、幼少時代によく遊んだといわれる場所。平安初期、壮年期になった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立する霊地を探していました。
ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から老人が現れ「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、仏の教えを広めてきた聖者だ。ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」と言いました。弘法大師は大変喜び、毘沙門天像を刻んで岩窟に安置し、供養しました。その後、嵯峨天皇の勅命を受けてこの地にある日本最大の溜池「満濃池」の修築工事を監督する別当に任命された弘法大師。朝廷が派遣した築池使さえも達成できなかった難しい工事です。弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、薬師如来像を刻んで修法しました。すると大師を慕って数万人の人々が集まり、力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたのです。朝廷からこの功績を称えられ、金二万銭を与えられた弘法大師は、その一部を寺の建立にあて、先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の鎧、兜の形に似ていることから「甲山寺」と名づけられました。
薬師如来は、心身に災いする一切のものを除くといわれる仏様。甲山寺を訪れた人々の力強い支えとなっていることは言うまでもありません。
四国お遍路74番札所「甲山寺」に来ています。
門には仁王像がありません。
左側には休憩所のような建物があって、奥の方に本堂がありました。
ツカ「こんにちは、何県から来ましたか?」
「茨木県です。」
ツカ「何日くらいで回ってますか?」
「私は1県づつ分けて回ってるからさだかではないけれど、歩いてだいたい40日間くらいかかるのかなあ?」
ツカ「なるほどーお気をつけて。」
「どうもー。」
本堂から左奥に少しあがったところに鐘と大師堂と毘沙門天のお堂gあるようです。
ごーん。
このへんの地区あたりから淡島大明神の社をちらほらみかけるようになりました。
女性の守り神として信仰があるようですね。
淡島神に安産を願い、子供が生まれると、小さな産着をつくって海に流すほか、淡島堂に納める。また縁結びや婦人の幸福を願うなど多様な霊力を持っているとされる。婦人達は悩みを話し合い、それぞれ慰めあうとともに、会食をして楽しむ淡島講もあった。淡島神の「御札」を入れた箱を背負い、婦人のお守りを配布して歩く僧もいた。淡島信仰はこれらの僧や願人によって広められ、各地に淡島堂が出来た。 3月3日に海に流す「ひな人形」は婦人の願いをシッカリと抱いて淡島さんのところへ行くといわれる。
洞窟に門を作ったような建造物の奥に弘法大師様が彫った毘沙門天尊があるそうです。
さてさて、このへんあたりからお寺が密集しているイージーモードに突入ですね。
お寺とお寺の距離が近くて、平らなエリアにあるのでわりと楽に移動できます。
残りあとわずかですからグイグイいきますか。