白峯寺の歴史・由来
青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の5色山のうち、白峯にある静かな古刹。弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建されました。弘仁6年、白峯山の山頂に、如意宝珠を埋め井戸を掘り、衆生済度を祈願に堂宇を建立しました。後に智証大師は、山頂できらめく光を見つけて登頂。山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊にしたと伝えられます。
白峯という、まろやかな響きを持つこの寺には、有名な物語が二つあります。
「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす」これは保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇の句です。都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられました。三年後、上皇と親しかった西行法師が詣でた話は上田秋成作「雨月物語」の伝説で有名です。その後も都では異変が相次いだため、後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺殿」の勅額を奉納。また、悲話を伝える玉章木(たまずさのき)も佇んでいます。また白峯山には心優しい相模坊という天狗が住んでいると伝えられています。ある夕方、小僧さんが木綿豆腐を買いに出かけたところ、突然、何者かに背中を押され、空を飛ぶような感覚になりました。そして次の瞬間、田舎では見ることない上等の絹豆腐を受け取り元の場所に立っていました。これは、夕方買い物に走る小僧さんを気の毒に思い相模坊天狗が助けてあげたと語り継がれています。
四国お遍路81番札所「白峰寺」に来ています。
歩き遍路で歩いてここまで来ると4時間くらいかかる山奥で遍路ころがしといわれています。
この門は珍しい門だそうですよ。
山門(七棟門)
巨大な杉に迎えられる白峯寺の山門。高麗形式の門の左右に2棟の塀を連ねた珍しい堀重門です。
門の前で昨日お話したお遍路さんの3人組がいたので軽くお話しました。
ここに来るまで3時間ちょっと登ってきたそうです。
門に入ると左側にショップがあって、突き当りに納経所がありました。
今日はショップがお休みなのか、開いてません。
日曜祝日などの人があつまりそうな日にのみあいているのかなあ?
ふと。通路の右側にのぼろい小屋でみかんといもが売られていました。
これが良心市というシステムのもので左側に置いてある木の箱にコインを入れて、みかんなどの商品を持っていくシステムになっています。
ショップの店員はいないので泥棒したいほうだいですが、良心によって成立している市場ですね。
みかんの量が多くて食べきれそうも無いので買うのはやめておきましょう。
杖、数珠、ロウソク、お守りなどの仏具がたくさん売られています。
すると正面に門が見えてきました。門の奥に何かの建物が見えます。
右に手水と水子地蔵があります。やまの上の方に鐘が見えますね。
門には仁王像がありませんでした。代わりにわらじが祭られています。
阿吽のわらじ、とでもいうのだろうか。
門の奥には建物がありましたが、どうやら本堂では無いようです。
解説
不思議なことがあれば、それはきっと天狗の仕業である。
天狗自身も大体は自分のせいだと認めてしまう。
しかし近代的な天狗は落ち着け、天狗なんていないと否定する。概要
真相不明の事件や大規模な天災をすべて「天狗の仕業」という事にしてしまう村人(というか年寄り)っぽいAAに由来するネタ。ただし、昔は実際に真相不明の事件を「天狗の仕業」という事にしていた場合もある。
これは事件の検証ができなくなった時に、仮の答えを置いて安心しておきたい人間の心の表れである。
「ふうむ?本堂はどこですか?」
山の上に鐘があった事を思い出して、いちど手水のところまで戻ると斜面に階段がありました。
階段をのぼると本堂があるようです。
ごーん。
ここの鐘は重い音がします。
階段のてっぺんに本堂がありました。ロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
ここの本堂は天井が長く階段まで突き出ていて照明がぶら下がっていてかっこいいです。
ツカ「こんにちは。何県から来ましたか?」
「静岡県です。清水の次郎長のうまれたところだよ。」
ツカ「遠いですね。」
「なんたらかんたらなんたらかんたら。」
ツカ「ありがとうございました。」
もうしわけありませんが、あまりよく聞き取れませんでした。
大師堂があります。ロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
以上、81番札所「白峰寺」でした。またね!