解体して剥ぎ取ったイノシシの毛皮には削ぎ残したお肉がついていました。
最初はカラスがつついていて夕方はトンビがつついていました。
そのまま寝て起きたら毛皮がどこにもありません。
マジかよ。
毛皮は5キロくらいの重さがあるので鳥が持っていくのは不可能。
鳥が一晩で食べ尽くすのもちょっと考えられないな。
もっと大きな動物に食べられたようだ。
熊は冬眠してるし鹿は草食だから雑食の猪が食べて持っていったと思われる。
最近このへんに出没する猪がいるからたぶんそいつだ。
猪は雑食だから肉を食べる。
山で行方不明になった人が死体すら見つからない理由は猪が死体を食べるからである。
生きている人間を襲って食べる事はまずないけれど死体の肉は容赦なくたべる。
もちろん同属というか親子兄弟の死肉も食べる。
同族の皮だろうが食えれば何でもいい。
猪にとって死んだ猪は共に生きる家族ではなく猪の形をした肉と判断しているようだ。
そうしないと生きていけない。
大自然の現実はとても厳しくて。
かわいそうとか思えるのはやはり恵まれているんだろう。
生き物を殺す事はやはりかわいそうだと思うよ。
けれど殺したあとはかわいそうだとは思わない。
解体もかわいそうとは思わない。
解体しないとたべられないから僕にとって解体は調理だ。
調理して食べる。
食べる時にはいただきますと言っている。
それで十分だとおもう。
感謝しているよ。
動物を殺して食べる映像をみせるなと言う人がいるがインターネットでは検索して来ないと見れません。
検索して映像再生をクリックしているのに見せるなって言うのおかしいです。
僕がなぜ記録しているのかというと世の中には知りたい人というのがいてその人の為に記録しています。
知りたくない人は検索しないのでずっと知る事はないです。
でも知りたい人というのは検索します。
そんなときに知りたい情報がないのは、選択肢が無いのはよくないんじゃあないのか。
と思っています。
知らない事でどんなふうに良くないことがおきるのかというと、
食べ残しても何とも思わなくなります。
そしてカレーのトッピングのカツを大量に廃棄してもなんとも思わない社会に至ります。
流れ作業で動物を殺しまくって大量に食い残してゴミ箱行きがあたりまえ。
そういう社会だから現実を隠しておきたいのか。
そんな世の中で暮らしています。
生き物の生と死が遠すぎて夢を見せられているような感じがします。
そして最近、動物愛護センターに行きました。
動物愛護の人達はいったい何を思っているのか気になったからです。
そこの動物愛護センターでは年間1000匹の犬猫などが回収されていました。
そこで引き取られるのが300匹で残りの700匹が殺されてました。
1箇所の動物愛度センターで年間700匹殺しているんだからまあ日本全国で考えたらそりゃもうすげえ数の犬猫が殺されてるよな。
この事を知らない人はダンボール箱に犬や猫を突っ込んで「ひろってください」みたいな張り紙して捨ててしまう。
捨てた人は、どこぞの動物好きの人が拾ってくれて幸せにすごしていくんだろう。幸せになれよ。みたいに思ってしまっているが、
現実はそんな事も無く回収されてクソまみれのガス室でキャンキャン鳴きながら窒息させられてゴミとして焼かれてる。
この現実を知らないとやはり軽い気持ちで扱ってしまう。
犬猫を捨てるという事は殺す事とたいして変わらない。
いや、まあ30%の確立で引き取られているから全てではないけれどね。
だから知りたい人が検索したときに本当の情報を得られる選択肢は残して記録しておきたい。