香園寺の歴史・由来
香園寺は聖徳太子(574〜622)の開基という四国霊場屈指の古刹であり、一方、境内には本堂と大師堂を兼ねた超近代的な大聖堂を構えている。また、寺が創始した子安講の輪は、海外にまで広がり現在20.000人を超えている。
縁起によると、用明天皇(在位585〜87)の病気平癒を祈願して、皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。このときに、太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、本尊の大日如来像を安置したとも伝えられ、また、天皇からは「教王院」の勅号を賜った。のち、天平年間(729〜49)には行基菩薩(668〜749)が訪ねている。
弘法大師が訪れたのは大同年間(806〜10)であった。ある日、門前で身重の婦人が苦しんでいた。大師は、栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。すると婦人は元気な男子を無事に出産した。これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められた。「栴檀山」はこれに由来する。以来、安産、子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を整えたが「天正の兵火」で焼失、寺運は明治・大正になって復興している。明治36年に晋山した山岡瑞園大和尚により、大正3年に本堂を再興し、同7年には「子安講」を創始して、全国の行脚はもとより、東南アジアやアメリカまで足を延ばし、講員の拡大と寺の隆盛に尽力している。
こんにちは宇崎ツカです。
郊外の道路と町のような感じのたいらな場所にお寺がありました。
いままでが結構な山奥にお寺があるのが普通だったので、こういった町の中にあるお寺は来るのが楽でいいですね。
ここから以降はほとんど街中にあるお寺のようなのでたくさん回って行けますよ。どんどん行きましょうか。
なんだか今までまわったお寺とは何かが違いますね?なんだろ。
お寺という感じがしないなあ。
公園の入口みたいな雰囲気なので、間違って公園に来たのかと思ってしまいましたが、バスからお遍路さんの服を着た人が降りてきたので、間違いないですね。行きましょう。
「ふぁー?これがお寺なの?!」
ずいぶんお寺のイメージから遠いです。
これ、文化ホールとかでしょ?高校生の吹奏楽部とかの演奏したり、地方巡業の演歌歌手のちょっとしたホールとかそういうやつじゃないのかな。
鉄筋コンクリートの本堂かあ。
一階が本堂で、二階が大師堂になっているようです。
ごーん。
お遍路さんがカメラを手に近づいてきた。三脚の代わりになってほしいそうです。
ツカ「いいよー。」
写真を撮ってあげました。
ツカ「どのへんの県から来ましたか?」
「熊本です。」
ツカ「歩きですか?」
「熊本からではなく四国に入ってから歩いてますね。」
ツカ「何日くらいたちますか?」
「だいたい今日で15日くらいです、ホテルとかロッジに泊まって洗濯して歩いてます。」
ツカ「何歳くらいですか?」
「23歳です。」
ツカ「なるほどー。お気をつけて。」
鉄筋コンクリートの建物に横穴が開いたような場所に木の扉がついています。
かなり狭いな。
これ、本当に本堂なのかな?うーむ?
なんか、お賽銭箱のところに、二階に行ってください、と書いてありますね。
二階に行ってみましょうか。
どう見てもコンサートホールです。
中央ステージ奥にご本尊の仏像があって、ボーカルの位置には住職が座るような関があります。
そのステージを囲むようにコンサートホールのイスが設置されています。
お経コンサートでもするのかな。
これは見事ですね。
というかここがご本尊だとすると大師堂はどこなのか?なんだか本尊と大師堂が一緒みたいですよ。
ほかに大師堂とか無いしな、やっぱここが本堂であり大師堂か。
ロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
以上です。