三角寺の歴史・由来
江戸時代の俳人・小林一茶が寛政7年(1795)に訪れたとき、「これでこそ 登りかひあり 山桜」と詠まれただけあって、山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所である。伊予最後の霊場で、標高は約430m、平石山の中腹にある静かな境内。
縁起では、聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために開創したと伝えられる。その後、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置された。さらに、大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたという。この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、寺院名の由来ともなっている。また、嵯峨天皇(在位809〜23)の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられる。
だが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、本尊以外を焼失した。現在の本堂が再建されたのは嘉永2年(1849)で、昭和46年に修復されている。本尊は古くから開運厄除けの観音・安産子安の観音さんとして、信仰を仰いでいる。ご祈祷をうけたお守りと腹帯が授けられ、また、「子宝杓子」といって、子宝に恵まれない夫婦が寺で杓子を授かり、仲良く食事をすると子宝に恵まれると伝えられる。子供を授かった後に、新しい杓子と授かった杓子をもってお礼参りをする。
こんにちは宇崎ツカです。
四国お遍路65番札所「三角寺」に来ています。
駐車場代は200円と書いてありますが、僕の前を走っていたプリウスの人は払わずにお寺に行っちゃった。
駐車場の写真を撮ったりしてのんびりしていた僕の前に、駐車場のおっちゃんがお金を取りに来た。
200円を払いました。
プリウスの人に逃げられたから、おっちゃんが慌ててお金取りに来たんだな。
阿吽の象があって、門の真ん中には鐘が吊るされていました。
ごーん。
なんだか工事中のフェンスがずらっと並んでいますね。
そして団体バスツアーの人達がたくさんいます。
ロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
大工事中ですね。