円明寺の歴史・由来
圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。
大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製である。
奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことなどで知られるが、この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されていることでもある。縁起によると天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。
のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに、寛永13年(1636)京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められている。 圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠があることでも知られる。
四国お遍路53番札所「円明寺」に来ています。
お寺は住宅街の細い道路へと続く交差点にあり、お寺の門の向かい側に駐車場がありますが車が多くて停められなかったりします。
運よく車が出て行ったのでスパッと駐車できましたが、待つ時もあるみたいですね。
阿吽の像の眼が力強いです。
門をくぐってすぐ左側に「キリシタン灯ろう」とやらがあります?なにこれ。
この奥(裏)にあります、と書かれています。
ここにきて裏メニューが出ましたね。
スライスしたマッシュルームのような形の石に地蔵が彫られています。
これがキリシタン灯ろう(十字架形灯ろう)というやつですね。
高さ40cm、合掌するマリア観音とおぼしき像が刻まれ、隠れキリシタンの信仰に使われたとの説もある。そうです。
正直これは十字架に見えませんね。
お寺の境内は中央に門がひとつあり、その奥が本堂、左に大師堂、右に納経所があります。
ごーん。
お寺の鐘が良い音です。
一応この中央の門も通っていきますか。
正面に本堂があるのでロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
この本堂には極悪人が見ると目が光る彫刻という極悪人発見装置があるのです。
実物は撮影できませんでしたが、写真が展示してありました。
写真でも効果はあるようです、眼が光って見えたら極悪人だそうですよ。
左側にある大師堂でロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
そして納経所で御朱印をもらいました。