【おへんろ】第46番札所「浄瑠璃寺」【P無料】宇崎ツカの四国一周車遍路旅

おへんろ

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日本, 〒791-1133 愛媛県松山市浄瑠璃町 浄瑠璃町282
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こんにちは宇崎ツカです。

今回は46番札所「浄瑠璃寺」に来ています。

浄瑠璃寺の歴史・由来

浄瑠璃寺は松山市内八ヶ寺の打ち始めの霊場である。参道入口の石段左に「永き日や衛門三郎浄るり寺」と彫られた正岡子規の句碑があり、お遍路を迎えてくれる。このあたりは遍路の元祖といわれる右衛門三郎のふる里として知られる。
縁起を辿ってみると、行基菩薩が奈良の大仏開眼に先だち、和銅元年に布教のためにこの地を訪れ、仏法を修行する適地として伽藍を建立した。白檀の木で薬師如来像を彫って本尊とし、脇侍に日光・月光菩薩と、眷属として十二神将を彫造して安置した。寺名は薬師如来がおられる瑠璃光浄土から「浄瑠璃寺」とし、山号もまた医王如来に因んだ。

約百年後の大同2年(807)、唐から帰朝した弘法大師がこの寺にとどまり、荒廃していた伽藍を修復し、四国霊場の一寺とした。室町時代の末期に足利幕府の武将、平岡道倚が病に苦しみ、本尊に祈願したところ、ご利益で全快したのに感激し、寺塔を再興して厚く帰依した。
江戸時代の正徳5年(1715)に山火事で本尊と脇侍をのぞいてほとんどの寺宝、伽藍を焼失したが、70年後の天明5年(1785)、地元の庄屋から住職になった僧・堯音が復興に尽力した。堯音は、托鉢をしながら全国を行脚してその浄財で現在の本堂その他の諸堂を再興している。また、社会事業家としても知られ、岩屋寺から松山市にいたる土佐街道に、苦難の末に8つの橋を架けている。
境内の樹齢1,000年を超す大樹イブキビャクシン(市天然記念物)が、信仰を得ている。

お寺の裏側が駐車場になっていました。

山からおりて、だいぶ平地になっています。

周りは田んぼに囲まれた地域で民家もぽつぽつとあるような場所です。

お寺には仁王門がありません。

お寺の前に道路がありますが、この道路はけっこう飛ばして車が走り抜けて行くので注意して渡らないと危ないです。

お寺に入ると正面が本堂でした。

左には納経所と手水。右側には鐘があります。

鐘を撞きましょう。

ごーん。

この音は良いですね。

ん?気づくと仏様の手形が刻まれた石がありました。

知恵と技術。

なんだろうねこれ?石に刻まれた仏様の手形に手をあわせて念じると知恵と技術が身に付くらしいですよ。

とりあえず手をのせてみました。

その隣には網かけ石という石があります。

大きな石が道を塞いでいたが、弘法大師様がその石に網をかけてどかしたという伝説があります。

その時の網の跡が残っているという石ですね。

なかなかに興味深いものがあります。

そして九黄封じ石

九黄とは九の災難で、

1・不治の病に患(かか)る。
2・暴力非行(ぼうりょくひこう)に会う。
3・淫酒(いんしゅ)におぼれる。
4・火傷(やけど)をおう。
5・水難(すいなん)に遭う。
6・獣蛇(じゅうだ)にかまれる。
7・崖(がけ)から転落(転落)する。
8・毒呪(どくじゅ)に中(あたる)る。
9・渇(かれ)き飢(うえ)る。

この災難を救うのが薬師如来。

その災難を封じ込めた石という事になります。

こちらはもみ大師。

豊作を願ったものだそうです。

手水で手を洗います。

これは仏様の足跡。

昔の人は基本的に歩き旅行だったので足跡が旅の安全祈願とか健脚祈願とかそんな感じだったそうです。

裸足であがると足が健康になります。

その隣には仏様の指紋がありました。

指紋を撫でると、文筆関係が良くなるそうです。

本堂があるのでロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。

隣に大師堂があるのでロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。

納経所で御朱印を貰いましょう。

御朱印はこちら。

水があるので水を飲んでおきましょう。冷たくておいしいです。

お寺の裏庭がとても立派でした。

以上、46番札所「浄瑠璃寺」でした。またね!




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