【おへんろ】第47番札所「八坂寺」【P無料】宇崎ツカの四国一周車遍路旅

おへんろ

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日本, 〒791-1133 愛媛県松山市浄瑠璃町773
+81 89-963-0271

こんにちは宇崎ツカです。

四国お遍路47番札所「八坂寺」に来ています。

浄瑠璃寺から北へ約1キロと近い八坂寺との間は、田園のゆるやかな曲がり道をたどる遍路道「四国のみち」がある。遍路の元祖といわれる右衛門三郎の伝説との縁も深い。
修験道の開祖・役行者小角が開基と伝えられるから、1,300年の歴史を有する古い寺である。寺は山の中腹にあり、飛鳥時代の大宝元年、文武天皇(在位697〜707)の勅願により伊予の国司、越智玉興公が堂塔を建立した。このとき、8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名とし、また、ますます栄える「いやさか(八坂)」にも由来する。

弘法大師がこの寺で修法したのは百余年後の弘仁6年(815)、荒廃した寺を再興して霊場と定めた。本尊の阿弥陀如来坐像は、浄土教の論理的な基礎を築いた恵心僧都源信(942〜1017)の作と伝えられる。その後、紀州から熊野権現の分霊や十二社権現を奉祀して修験道の根本道場となり、「熊野八坂寺」とも呼ばれるようになった。このころは境内に12坊、末寺が48ヶ寺と隆盛をきわめ、僧兵を抱えるほど栄えた。
だが、天正年間の兵火で焼失したのが皮切りとなり、再興と火災が重なって末寺もほとんどなくなり、寺の規模は縮小の一途をたどった。現在、寺のある場所は、十二社権現と紀州の熊野大権現が祀られていた宮跡で、本堂、大師堂をはじめ権現堂、鐘楼などが建ちならび、静閑な里寺の雰囲気を漂わせている。
本堂の地下室には、全国の信者から奉納された阿弥陀尊が約8,000祀られている。

お寺のとなりにある、山がひとつ全部墓地になっているいやさか不動尊の駐車場に車を停めました。

山のてっぺんにあるお墓でものすごく見晴らしがよくて町が見渡せます。

天気も良くて空気が綺麗な清々しい墓地ですね。

墓地とは思えないくらいにものすごく綺麗です。

お寺の門があるほうに行ってみましょう。

門が狭い。

仁王門が無いですね。というかここであってるのかな?

なんか門の雰囲気がだいぶ違うよ。

どうやら火災で焼けちゃってるから昔の門とかお寺はもう無いみたいですね。

門の右下に白い猫がいました。

立ち止まって門の写真を撮っていると足に体当たりしてきます。かわいいです。

カメラを猫のほうにむけると、カメラに体当たりしてきます。かわいいです。

とてもかまってほしそうですが、お寺の方に向かいましょうか。

門をくぐって境内に入ると右側に納経所と手水がありました。

手を洗います。

納経所の入り口に茶色い猫が2匹寝ていました。

この猫も寄ってきますね。かわいいです。

ネコ寺ですねここ。

鐘を撞きましょう。

本堂があります。ロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。

本堂の中に火渡りする修験者の写真が貼られていました。

え?なんだこれ?燃え盛る業火を裸足で歩いている修験者がいるんだけど?これホント?すげえな。

お祭りの時に修験者という団体が来て鍛えた技を見せてくれるらしいです。

そして「修験者とめぐる!春の修行登山体験」みたいな感じのポスターが貼られていました。

どうなってんだろうなこれ?

そして外に出ると足元に極楽の道・地獄の道というカラーコーンにくっつけた看板がありました。

なんだこれ?

閻魔?

閻魔堂がありました。

閻魔堂の右側が極楽の道で、左側が地獄の道だそうです。

地獄の道の地面は物凄く尖っていて歩くと痛いです。

そして地獄っぽい絵が描かれていました。

天国の道は丸い石が敷き詰められたもので歩きやすいですね。

そして極楽っぽい絵が描かれていました。

奥には墓地に続く階段があります。

本堂の地下には仏像のたくさんある場所がありました。

たくさんの仏像が設置されています。

隣には大師堂があるので、ロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めを納めます。

納経所の玄関には猫の里親募集と書かれていました。

猫を捨てたらあかん。

どうやらお寺に猫をぶん投げていく人がいるようです。

そして御朱印をもらいました。

以上、47番札所「八坂寺」でした。またね!




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