仙遊寺の歴史・由来
境内は、山号になっている作礼山の山頂近い標高300mの高台にあり、今治の市街地や四国一高い今治国際ホテルは眼下に望める。その先には瀬戸内海に浮かぶ島々、さらには平成11年に開通した「しまなみ海道」も一望できる眺望豊かな地にある。
創建は天智天皇(在位668〜71)の勅願により、伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立、本尊の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として、海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫って安置したとされる。このことから「作礼山」が山号となり、竜宮から届けられたという伝説もある。さらに仙遊寺には、阿坊仙人という僧が40年にわたって籠り、七堂伽藍を整えるなどをしたが、養老2年(718)に忽然と姿を消してしまったという伝説が残っている。寺名はその阿坊仙人に由来している。
弘法大師が四国霊場開創の折にこの寺で修法をされたとき、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、また荒廃していた七堂伽藍を修復して再興、寺運は興隆した。この井戸は旧参道の脇に残り、「お加持の井戸」として多くの諸病を救ったと伝えられ、信仰されている。
江戸時代には荒廃して本堂と12社権現だけとなっていたが、明治時代の初期、高僧・宥蓮上人が山主となり、多くの信者とともに再興に尽力した。宥蓮上人は明治4年、日本最後の即身成仏として入定している。境内には、上人を供養した五輪塔がある。
山奥のてっぺんにあるお寺ですね。
駐車場はお寺の裏側にあって400円です。
門をくぐってすぐの階段に弘法大師「お加持の井戸」とやらがありました。
この水は「お加持の井戸」と言って弘法大師様が病の人のために掘った井戸で、病気が治る水です。
いまでも水は井戸から湧き続けていて水が汲めるようになっています。
門から階段と山道が続いていて、ところどころにお地蔵様が祭られています。
お寺に着きました。
何かの呪文ですかね。
ごーん。
足だけモニュメントはちょっと不気味です。
このまえ話しかけてみた沖縄から来たという二人組のお遍路さんと再会しました。
軽くお話をしてまたどこかで会ったらいいね。みたいな話をしました。
お遍路で言うまた会おうねって言葉は社交辞令といえば社交辞令なんだけど、まあ要するに死んだあとあの世で会ったらよろしくねって意味だ。
みんなで同じお経を合唱している風景をよくみかけると思うんだけど、みんなでお経を読むと、あの世に行った時にみんなで同じ流れに沿って逝けるというか、迷わず成仏できる道に乗れるらしい。
以上、58番札所「仙遊寺」でした。またね。