腹切やぐら
〒248-0006 神奈川県鎌倉市 小町3
city.kamakura.kanagawa.jp
0467-61-3884
【料 金】無料
【駐車場】30分300円ほか
【ユーチューブ】
こんにちは宇崎ツカです。
僕は今、神奈川県鎌倉の腹切やぐら東勝寺跡に来ています。
腹切やぐらとは
元弘3年(1333年)に新田義貞に攻め込まれて、
敗走した北条高時が一族郎党800人と共に切腹した場所である。
住宅街の裏側に腹切やぐらがあるので、駐車場はコインパーキングに停めます。
コインパーキングがまた高いなあ。
30分300円である。
うーん・・・
なんか車で来る場所じゃないような気がする。
それにしても鎌倉は駐車場が高い。
だがどこの道路もいたるところが駐車禁止で、
ちょっとコンビニでうんこして戻ってくるだけで、
駐車禁止のシールが貼られてしまうという恐怖がつきまとうので、
路上駐車などできない。
油断をすると根こそぎお金を取られてしまうのが都会であるし、
人が多い場所ではちょっとした油断でも、
重箱の隅をつつくようなほんのささいな出来事に目くじらを立てて、
いちいち大げさに犯罪者のレッテルを貼り付けて、
警察を呼ぼうとする人がいるのでこれっぽっちの隙も見せないように行動するしかない。
めんどうくさいにもほどがある。
という事で駐車場に車を停めて住宅街の細い路地を進んでいくと、
東勝寺跡がありました。
東勝寺は、13世紀前半に鎌倉幕府第三代の北条泰時により、
得宗家の氏寺として創設されました。
様々な宗派を学ぶ諸宗兼学の寺院であるとともに、
周辺の地形と一体となった防御のための城のような機能も持っていたと考えられています。
元弘3年(1333年)、新田義貞らの鎌倉攻めにより、
幕府の最高権力者であった北条高時は、東勝寺で一族郎党とともに自害し、
鎌倉幕府は滅亡しました。
平成8・9年(1996・1997)に行われた発掘調査では、
幕府滅亡時に消失したと考えられる建物の跡と、
それを覆う10数cmの炭の層が発見されました。
消失後まもなく、東勝寺は禅宗寺院として再興され、
室町時代には関東十刹に列せられましたが、16世紀後半ごろには途絶えたと考えられています。
跡地の山の部分には横穴のようなものが見えますが、
金網でかこってあって中には入れません。
少し山のほうに階段があるので登るとすぐに腹切やぐらの看板がありました。
霊処浄域につき参拝以外の立ち入りを禁
と書いてあります。
さっそく参拝しましょう。
山を削って作られたような横穴の中に石でできた石碑と卒塔婆が15枚くらいがありました。
800人が切腹したというわりには狭いですね、
どうやら800人が切腹したのは東勝寺の場所があるほうのようです。
といってもとても近いのでここでも当然ながら切腹した人がいたと思われます。
花とお酒とお線香の香りがします。
きれいに掃除されていて、いいにおいですね。
近くのお寺さんが管理しているようです。
すると突然何かの動物が3匹くらいで竹やぶの奥にガサガサと歩いてきました。
ふぁ!?
なんだろう?一匹が竹やぶから出てきてこちらを見ています。
モヒカンです。
これはイノシシ!?の子供。
しかも3匹くらいいる、という事は近くに親がいるのではないのか?
ここで背を向けたらやられる。
緊張するが声を出す事で追い払えると思うので大きな声を出して追い払う。
するとどこかに去っていったようだ。
あーぶねーえ。
まさか鎌倉でイノシシの群れに出くわすとか、思いもよらなかったから丸腰だし。
このへん人があまり通らないし、
東勝寺跡は金網で囲まれてるからイノシシの巣になってるんじゃあないのかよ。
そんな感じだったので驚いてあまり長居できませんでした。
またモヒカンイノシシに囲まれてしまったら怖いので帰りましょう。