飽食の時代だから無駄な殺生はするなと言う人に限って、
その飽食の時代を作り上げるために大量に動物が殺されて賞味期限切れで大量にゴミとして焼却されている現実に疑問を持たないよな。
約600万トンの食べ物が賞味期限切れでゴミになっているんだけど。
食べる為に殺したけど賞味期限が切れたからやっぱりゴミだわ。
生き物を殺したけどゴミだわ。
みたいな無駄な殺生でできている社会のシステムにどっぷり浸かってるくせに、
自分の事は棚上げで他人をディスる時は嬉々として饒舌に語る。
矛盾の中で生きていくには考えない事がいちばん大切な要素なんだろうか。
いや、違うか。
【食べる為に殺したけど賞味期限が切れたからやっぱりゴミだわ。】という行為は無駄な殺生ではないと思っているのだ。
だからそんな事を真顔で言える。
と、すると飽食の時代だから無駄な殺生はするな、という意味はどういう意図があるのだろうか。
動物を殺して食べずにゴミとして捨てる行為を肯定しているにもかかわらず、無駄に殺すなとはいったい?
どういう事なのか。
この人の言う無駄な殺生とはいったい何なのか?
動物を殺して食べずにゴミとして捨てる行為を肯定しているのだから、
「食べるぶん以外は殺すな」という意味ではない。
という事は、
殺して食べずに捨ててもいいけど、
すでに私が殺した動物の肉があるんだから、
賞味期限が切れる前に私が殺した肉を買って食べろ。
私が殺した肉を無駄にする殺生をするな。
と言う意図なのかなあ。
あなたが買って食べないと私が殺した肉が無駄になる。
↓略
私の肉を無駄にするような殺生はするな。
↓略
無駄な殺生はするな。
とか、そんな感じなのかなあ。
資本主義社会の教育の賜物という感じがするけどとても正しいよ。
資本主義社会の思想はそうでないと経営者が困るしな。
経営者がよりいっそう裕福になるために植えつけた思想のような気がするが、
あなたにとっては無駄なんでしょう。
が、
私にとっては必要です。
それで、いいんじゃあないですかね。