屋島寺の歴史・由来
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。屋島寺は、天平勝宝のころ鑑真和上によって開創されたと伝えられる。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。のち和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称し初代住職になった。
弘仁6年(815)、弘法大師は嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺に移し、また十一面千手観音像を彫造し、本尊として安置した。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれている。屋島寺はまた、山岳仏教の霊場としても隆盛し、天暦年間(947〜57)には明達律師が訪ねて四天王像を奉納された。現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られており、国指定重要文化財になっている。やはり国指定重要文化財の本堂は鎌倉時代に造営されているが、寺運は戦乱によって衰退する。だが、国主・生駒氏の寺領寄進や、歴代藩主の援助により相次いで修築され、鎌倉・江戸時代の風格を現代に伝えている。
四国お遍路84番札所「屋島寺」に来ています。
駐車場はとても広くてアスファルトで綺麗です。
お店がある方に進むとお寺があるようです。お店にもよってみましょう。
ここは仏具ショップではなく、お土産屋さんですね。
源平まんじゅうみたいなものがたくさん売られています。あと、さぬきうどん。
そしてタコのニオイがします、おいしそうなニオイですね。
名物のいいだこおでん、とやらがとても美味しそうです。
ショップの奥に道が続いています。みんなこの道を通っているので、この先にお寺があるようです。
赤くてピカピカの門がありました。屋島寺と書いてあります。けっこう近いですね。
境内は広いです。奥に本堂があります。ほかにもお堂がたくさんありますね。
外国からのお遍路さんがいるので話しかけてみましょう。
ツカ「こんにちは。」
「こんにちは。」
ツカ「どこからきましたか?」
「日本語わからないよ。英語は少しわかるよ。」
ツカ「come from?(どっからきたの?)」
「オランダ!オランダ!HAHAHA」
ツカ「オランダ!オランダ!HAHAHA」
オランダの人でした。
。
そういえば四国ってタヌキ伝説多いですよね。
昔々、弘法大師様が、ここ屋久島に修行にきた時、物凄い霧で何も見えなくなって迷子になってしまいました。ヤバイ!このままでは死んでしまう。と、ピンチなその時におじいさんに化けたタヌキが道案内をして助かったのです。弘法大師様がありがとうと言って濃い霧の中で見たものはタヌキでした。おお!タヌキが助けてくれたのか。
鐘がありますが、丸太がロープで縛りつけてあるので撞けませんでした。残念。
徒歩で来るとここに着くようです。
狸が普通に歩いていました。この地域では神様です。タヌキ神である!
みんなが「かわら」を投げています。
かわら投げ。という伝統行事が有名で崖からかわらを投げるそうですよ。
以上、84番札所「屋島寺」でした。またね!