泰山寺の歴史・由来
泰山寺には、水難で人命を失う悪霊のたたりを鎮めた伝説が根強く残っている。
弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁6年のころ。蒼社川という川がこの地方を流れており、毎年梅雨の季節になると氾濫して、田地や家屋を流し、人命を奪っていたため、村人たちは恐れ苦しみ、人取川といって悪霊のしわざと信じていた。この事情を聴いた大師は、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法したところ、満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、治水祈願が成就したことを告げた。大師は、この修法の地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩の尊像を彫造して本尊とし、堂舎を建てて「泰山寺」と名づけた。この寺名は、『延命地蔵経』の十大願の第一「女人泰産」からとったと伝えられる。「泰山」にはまた、寺があった裏山の金輪山を死霊が集まる泰山になぞらえ、亡者の安息を祈り、死霊を救済する意味もあるという。
寺はその後、淳和天皇(在位823〜33)の勅願所となり、七堂伽藍を備えて、塔頭に地蔵坊、不動坊など10坊を構えるほどの巨刹として栄えた。だが度重なる兵火により寺の規模は縮小し、金輪山の山頂にあった境内が麓の現在地、大師お手植えの「不忘の松」があったところに移ったと伝えられている。
泰山寺の右約300m「塔の元」という場所は、鎌倉時代の学僧で、『八宗綱要』を撰述した凝然(1240〜1321)が誕生した地とされている。
四国お遍路56番札所「泰山寺」に来ています。
駐車場も大型バスが楽に停められるくらいのものがあります。
お店はありませんが、お寺への細い通路の入口に自動販売機があるのでコーラ飲みますか。
炭酸水のような刺激物は旅の良い休憩になります。
通路の奥には石垣が高く積まれていて、仁王門はありませんでした。
階段をあがってお寺に入ります。
ロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
ごーん。
ツカ「こんにちは、どちらからいらっしゃいましたか?」
「大阪からです。」
ツカ「1番からですか?」
「88からですね、逆打ちです。」
ツカ「ありがとうございました。」
1番から88番までを順に行くお遍路の事を順うち、88番から1番へ逆にまわっていく事を逆うち、と言うそうです。
まあ、はじめてのお遍路は順番に進んでいくほうがいいですよ。
二回目三回目と何度もまわる人用の特殊ルートみたいなものですね。
ロウソク・線香・お賽銭・納札・お経を納めます。
以上、56番札所「泰山寺」でした。またね。