日本, 〒791-1111 愛媛県松山市高井町1007 西林寺
こんにちは宇崎ツカです。
四国お遍路の48番札所「西林寺」に来ています。
西林寺の歴史・由来
寺の前に小川があり、きれいな水が流れている。門前にはまた正岡子規の句碑があり、「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」と刻まれている。「ていれぎ」は刺し身のツマに使われる水草で、このあたりの清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。
縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の天平13年、行基菩薩が勅願により伊予に入り、国司、越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立した。その地は現在の松山市小野播磨塚あたりの「徳威の里」とされ、本尊に十一面観音菩薩像を彫造して安置した。大同2年(807)弘法大師が四国の霊跡を巡礼した際この寺に逗留した。ここで大師は国司の越智実勝公と協議、寺をいまの地に移して四国霊場と定め、国家の安泰を祈願する道場とされた。このころ村は大旱魃で苦しんでおり、弘法大師は村人を救うために錫杖を突き、近くで清水の水脈を見つけた。寺の西南300mにある「杖の淵」はその遺跡とされ、水は涸れたことがなく土地を潤し、昭和60年の「全国の名水百選」にも選ばれている。
時代は江戸・寛永年間(1624〜44)、火災で堂塔を焼失した。元禄13年(1700)に松平壱岐守はじめ、家老、奉行など諸役人の手により一部を再建、宝永4年(1707)には中興の祖、覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され、本堂と鐘楼堂の再興に尽力、さらに江戸末期に大師堂と仁王門を復興している。
都市が近くなってきたような感じの道路で、けっこうみんな飛ばして走っています。
この道路沿いに道後温泉まで4寺くらい並んでいるのでこの道路沿いだけなら、ほぼ1日でお参りできるような気がします。
電線もあるしなんだか久々に人がいる、人里に降りてきたような気分ですね。
さてお寺の仁王門の前に駐車場があるので、ここに車を停めました。
駐車場はここだけではなく裏にも第二駐車場があるので混んでいたらそっちにも停められます。
手前に手水があり、本堂のとなりが大師堂になっています。
左には鐘があり、左奥に行くと納経所があります。
入口のところにお遍路さん休憩所みたいな東屋がありました。
ちょっと休憩しましょうか。ふう。
ごーん。
心に染みる音ですね。
ひととおり全部お参りしたと思うので、納経所で御朱印を貰いましょうか。
納経所の前の池で泳いでいる鯉がものすごく大きくて白くて立派です。
以上、48番札所「西林寺」でした。またね!