【おへんろ】第43番札所「明石寺」【P無料】宇崎ツカの四国一周車遍路旅

おへんろ

日本, 〒797-0007 愛媛県西予市宇和町明石201
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こんにちは宇崎ツカです。

愛媛県にある第43番札所「明石寺」に来ています。

明石寺の歴史・由来

明石寺が所在する宇和町には、愛媛県歴史文化博物館をはじめ、宇和文化の里の開明学校、申議堂のほか、高野長英の隠れ家、多くの古墳など古代の遺跡が残されている歴史と文化の町である。明石寺にもまた奇逸な歴史の縁起が残されている。
まず、この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされて、古来尊崇されてきた。6世紀の前半、欽明天皇(在位532〜71)の勅願により、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされている。のち、天平6年(734)に寿元という行者(役行者小角から5代目)が紀州熊野から12社権現を勧請し、12坊を建てて修験道の中心道場として法灯を伝承した。

弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。
以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。

けっこう山の中にありますね。

駐車場はお寺の前の売店のところにあります。

車を降りるとすぐに階段があって、お寺の門がここから見えています。

そろそろ夕方の5時になってしまうので早めに行動しないと納経所が5時までなので閉まってしまいます。

いそげ!

階段を登るとお寺の門がありました。

奥に本堂が見えますね。

門の両脇に阿吽の像がありますが、格子が狭くて像がよく見えませんでした。残念。

線香が一束50円で売っています。ここも良心市タイプの無人売り場で線香を買ったら箱にお金を入れます。

門をくぐると手水があるので手を洗います。

正面にある本堂でロウソク・お線香・お経・お賽銭・収め札を収めます。

鐘があるので撞きましょうか。

ごーん。

隣にある大師堂でロウソク・お線香・お経・お賽銭・収め札を収めます。

夫婦杉

やばい、もう5時になりそう。間に合うかなあ?

間に合いました。こちらが43番札所の御朱印になります。

行方不明のたずね人情報が貼られていました。

そういえば、すごい昔にテレビでたずね人番組とかやってたの知ってる?

番組で電話番号さらして、探してほしい人がいたら番組に電話くださいって言うと電話が鳴るのね。

実際に電話すると繋がらない。

アナウンサーが「電話がたいへん混みあっていて繋がりづらい状態です!」と言うんだが、本当かどうか微妙。

本当は繋がらないように電話線抜いてる。

電話を受けて、「たずね人のなんとかさんこの番組をご覧になっていたら家に連絡してください!お願いします!ご家族の方が心配しています!お願いします!」ってテレビでアナウンサーが叫ぶ。

で、ゲストで家族がスタジオに来ていて、劇団子供が泣きながら「お父さん!帰ってきて!」とか言う。

劇団母親が「あなた!帰ってきて!」とか言う。

すると番組終了間際に、「たずね人のなんとかさんから家族に連絡があったそうです!よかったですね!」とアナウンサーが叫ぶ。

という台本番組。

今、考えると、そんな都合よくいくわけないでしょ。っていうかVTRじゃねーかって思うけど、アナウンサーもゲスト家族も泣いて喜んでたな。

最近そういう番組やらないんだけど、どうしてなんだろうね。

それはそうと、おへんろさんの行方知れずが非常に多いよな。

43番から44番までのみちのりが結構遠いので次のお寺までけっこうかかりそうです。

以上、43番札所「明石寺」でした。




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