花魁淵という名称の由来に関する故事の概要が、塩山市観光協会により現地に建てられた看板に書かれている。
武田勝頼の死による甲州征伐の折、武田氏の隠し金山と言われたこの黒川金山も閉山となった。この時、金山の秘密が漏れることを危惧した金山奉行 依田の主導で、鉱山労働者の相手をするため遊廓にいた55人の遊女と金山に従事した配下の武士を皆殺しにすることを決め、酒宴の興にと称して柳沢川の上に藤蔓で吊った宴台の上で彼女らを舞わせ、舞っている間に蔓を切って宴台もろとも淵に沈めて殺害した(殺された遊女が55人であったので「五十五人淵」とも言う)。実際に事件があったのは、この場所よりも更に上流のゴリョウ滝の辺りであったとされ、事件を説明する看板と小さな供養碑が建てられている。また下流の丹波山村には、この際の遊女たちの遺体を引き上げてお堂を建てて供養したとされる言い伝えが残る。このお堂は長らく失われていたが、1988年(昭和63年)に再建されている(西東京バス丹波バス停下車、徒歩15分)。【ユーチューブ】
「おいらん淵」山梨県【心霊】武田勝頼がおいらんを宴台もろとも淵から落として55人殺害した現場【無料温泉無料キャンプ場道の駅マップ】
https://www.google.com/maps/d/u/1/edit?mid=zWOo3mhDStfg.k_dGJp1t0y20こんにちは宇崎ツカです。
僕はいま、山梨県にある心霊スポットのおいらん淵に来ています。
本当に山の奥地で深い渓谷が続く川沿いのうねうねした山道の途中にある場所です。
慰霊碑の柱が道路からちょいちょい見えるそうですが、僕は見えませんでした。とんでもない山の中のトンネルの入り口の手前に細い道路があります。
細い道路は川沿いに続いていて山をぐるりと迂回して続いているようですね。
この細い道路は旧道で、トンネルができる前は旧道を使って山を迂回していました。
この旧道の奥にはいったところにおいらん淵の慰霊碑があるという話です。トンネルの下には川が流れています。
これが55人の女性の血で赤く染まったといわれる伝説の川ですね。
川に入る手前には魚釣りをする人に対しての警告の看板がたっています。
釣りをするには遊漁券が必要です。事故については責任を負いません。とのこと。
釣り人が通ったであろう獣道のような跡を降りて水を触るととても冷たいです。川のほとりを歩いていたら道路のほうでクラクションが鳴り続けています。
駐車禁止になっていない、今は使われていない旧道の入り口の端っこに車を停めたから他の車は通れるはずなんだけどな?
川から車に戻るまで3分くらいでしたがクラクションがずっと鳴り続けています。
どうやら工事関係者の人がクラクションを鳴らしまくっていたようで、
僕の事をこの奥にある工事の資材置き場に入り込んだ泥棒と勘違いしていたようです。
資材置き場からではない方向から現れた僕に気が付いてクラクションを止めました。別の場所に車を移動しましょう。
かなり歩くけれどまあ仕方がない。そして戻ってきて、旧道のほうを見てみます。
いつもはフェンスが閉じられている場所ですが今日は資材置き場になっている場所が開いていました。
フェンスの奥には資材が置かれていて、5メートルくらいの高さの砂利の山があります。
砂利の山の上にはユンボが置かれていて、ダンプにこの砂利をのせる場所になっていました。
道路は砂利が凄くて奥に進めません。
真上に道路があるので真上に行ってみましょうか。上の道路から見下ろすと旧道は砂利で埋め尽くされていることがわかりました。
とても奥に進めるような状況ではありません。
ガードレールよりも高く砂利が積まれています。旧道の奥は落石が物凄いです。
かろうじて人が通れるような跡はありますが、道の半分が落石で埋め尽くされています。
この道路の奥においらん淵の慰霊の柱があるようですが、行くことができませんでした。ステージを谷の上に作り、ステージで踊りを躍っているおいらん55人を口封じの為にステージごと谷に落としたという伝説の谷ですが、もう誰の目にも触れる事は無いですね。
残念ですが、慰霊碑を拝むことができませんでした。
赤く染まった川を見て下山しました。以上、おいらん淵でした。またね。