「おまえら受刑者は死んでも鎖から逃れることはできない!墓が鎖で巻きつけられた網走刑務所」北海道:網走監獄博物館(1080円)

北海道旅行

網走監獄博物館
〒099-2421 北海道網走市呼人1−1
kangoku.jp
0152-45-2411
営業中: 9時00分~17時00分

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「網走監獄博物館(1080円)」北海道【観光】おまえら受刑者は死んでも鎖から逃れることはできない!墓が鎖で巻きつけられた網走刑務所

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おはようごさいます。道の駅網走は曇りです。
道の駅スタンプを押しましょう。
観光案内があったので網走監獄パンフレットを無料でもらいました。
このパンフレットは網走監獄だと100円かかりますが道の駅観光案内だと無料です。


鯨のちんこが展示されています。
ちんこの下で生きているカニを売っています。


網走刑務所の橋の手前に町営駐車場があるのでそこに駐車して刑務所に歩いて向かいます。


刑務所に行くには川を渡ります。


ぶ厚くて高い壁です。


これが本物の刑務所です。
刑務所の人が作業で作ったアイテムを売っている刑務所グッズ販売店で網走プリズンのタオルを買いました。

つぎは網走監獄博物館に行きましょう。


網走に監獄が作られたのは明治23年の事です。
そのときから網走の町と監獄は共に開拓の道を歩み続けてきました。
開設から125年が経ちました。
この博物館は昭和58年オープンです。
刑務所で使っていた建物を一度解体して運んできてまた組み立てて公開しています。


この庁舎は実物です。
明治45年に受刑者が作ったものですが最近リニューアルして綺麗な内装になっています。
昭和63年まで使っていました。


平成5年まで刑務所の裏門として実際に使われていたものが移動して展示されています。
この門を通ったら外の世界だという心の開放感を受刑者に与えてくれたそうです。
受刑者が俳句を読んだらしいです。
外の作業でバスに乗っていくんですが最近バスも大型化して門が通れないから新しい門に作り変えたときに古い門を博物館に持ってきました。


門の前にいるおじいさんは五寸釘寅吉さんといいます。
15センチの釘を踏んで足の裏に刺したまま12キロはしって逃げたから五寸釘と呼ばれるようになりました。
明治の脱獄王で有名な人でした。
6回脱獄しています。
最後は網走刑務所に収監されて70歳くらいで老齢のため外に出されました。
外に出た寅吉は五寸釘劇団という旅興行をたちあげて自分のしてきた事を劇にして語り歩いていました。
最後は興行主に騙されてすってんてんで死にました。
おじさんのあだ討ちで14歳で刑務所に入って人生の半分以上刑務所で過ごしてきた人が五寸釘寅吉です。


光が入る独立型独居房がこれです。
昔は刑務所に来て一週間くらいこれに入って生活スタイルを観察されました。
監視するのも管理するのも大変だったのでめんどくさくて使われなくなりました。


木の懲罰房は光が入りません。
これは北海道の最初の刑務所「樺戸集治監」(かばとしゅうちかん)の懲罰房です。


木の懲罰房では網走だと壊されてしまうのでレンガ造りの懲罰房が使われました。
音も光も入らないので受刑者からとても嫌がられていました。

当時レンガも瓦も受刑者が全部作っていました。
レンガにも焼印が押されていましたが重ねてしまうと見えないですね。
網走刑務所の焼印は三角形や数字の3が押されていました。
刑務所がさんちょうという場所にあるからです。
オホーツク海、網走湖、能取湖が見える真ん中にあるからさんちょうで焼印も三角形とかまあそんな感じです。


昭和40年くらいまでのお風呂です。
看守が3分刻みで笛を鳴らします。
服を脱ぐのが3分、ひとつめの浴槽につかるのが3分、洗うのが3分、ふたつめの浴槽が3分、最後に服を着るのが3分。
合計15分間のお風呂タイムになっていました。
前に前に前進していって奥まで行ったら一列になって出て行きます。
同じ場所を往復させませんでした。
釘などをゆるめてこっそり持ち帰り脱獄の道具を作られては大変です。
後ろを振り返って話したり立ち止まったりも禁止です。
夏は5日に一回冬は10日に一回しかお風呂に入れません。
石鹸がぶらさがっています。
この石鹸をみんなで使います。
使ったらこの石鹸を隣にまわしていきます。
15人ならんではいっていくので最後のひとは石鹸が使えなくなってしまったりします。
風呂は段差がたくさんあります。
刑務所は走るとつまづくように段差がたくさんあります。


網走監獄五翼放射状平屋舎房


五本の指を開いたような作りになっていて看守の人数が少なくても効率よく見張れるようになっています。
ベルギーのルーバン監獄を参考にして作ったそうです。
明治42年に火事があって42年から45年まで当時の受刑者が3年かけて作りました。
昭和59年まで受刑者が生活していた建物です。
左側から1~3棟が普通の受刑者が入る大部屋。


看守は猟銃をもっていましたがクマ撃ちのためのものです。


ガラス二枚
たたみ6畳で7人部屋です。
奥のガラス張りのトイレは木の桶に木の蓋をするだけのものです。

当時のトイレはかなり臭くてくさい所でごはんを食べるので刑務所のごはんを臭い飯と言う様になりました。
今は水洗トイレなのでまったく臭くないです。
昔の食事はご飯味噌汁漬物お茶だけだったので扉の下にある食器口という穴から食事を与えられていました。
おかずが漬物一品だけしかなかったので、天下一品の食事だねと皮肉っていたそうです。


独房の中は視察口というドアの鉄格子からのぞきます。
上のほうにも大きな鉄格子があります。
照明にいたずらしたり天井から脱獄したりするのを防ぐのに使いました。

鉄格子だと隣同士で見えてしまうので見えないようにななめ格子という木の壁になっています。
外からだとすべての独房が見えますが内側からだと他の独房が見えないようになっています。


4棟は政治犯や思想犯が入る隔離部屋です。
そういう人たちを大部屋にいれてしまうと回りの人に悪影響を与えてしまうから隔離。
そして顔が知られている有名な受刑者や外の作業に出したら逃げてしまう受刑者などを隔離していました
ここの格子はひらがなのくの字の形をしたくの字格子という壁でできていて外からも中からも見えませんが空気は入るという換気できる構造です。


白鳥という人はここの扉の監視窓の鉄格子に味噌汁をかけて錆びさせて鉄格子をはずして小さな監視窓から肩をはずして逃げ出したそうです。


優秀な人はストーブがある5棟に入れたそうです。


網走では道路工事を受刑者にさせていました。
1200くらいのうちの200人くらいが死にました。
亡くなった受刑者は道路の脇に埋めて土饅頭を作って鎖を巻きました。
おまえら受刑者は死んでも鎖から逃れることはできないと見せしめのために墓が鎖で巻きつけられました。
昭和40年くらいまでずっとそのまんまでしたが町の人たちが道路の脇に骨が眠っているのはあんまりだという事で掘り起こしてちゃんと埋葬しました。
そのときに出てきた骨の足には5キロの鉄球がついた鎖につながれたままに投げ捨てられたものがでてきたそうです。
おそろしいですね。
まあ心霊スポットとして有名らしいです。



50年くらい前の話の博物館ですが現在はかなり改善されています。
現在の展示もありますがかなり良い暮らしなのでそれはそれでびっくりしますわ。
ごはんの量がとても多いです。

そんな感じでした。




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